江戸時代中期の観相学の大家、水野南北(1760-1834)という人が面白い説を唱えました。
“節食開運説(小食に心がけると、運命が良くなる)”というものです。
*「観相学」は手相や人相をみて、その人の性質や運命を占う人のことです。
分限よりも大食するもの運よろしからず。
諸事心にまかせず、不時の損失など多かるべし。
蓋し、天より受けえたる食には際限あり。
これをよけいに食するときは、日に天に借りを生ず。
食い費やしたる食は、みな糞となりて再び世に還らず。
何れの年にこれを返納するか。
人は催促せずとも天はこれを取り立て給う。
われ返さずは子孫に取り給う。
子孫あらざれば、その家を亡ぼし、先祖をたやし給う。
わが借りたるものを返すは天地の理なり。
されば分限よりも、大食をなす者は運よろしからず。
不意の災禍損失多かるべし。
これみな、天よりわれを戒め取りあげ給うと知るべし。
…(中略)…
人命を養うがための食なりといえども大食暴食をなせば草木に肥料の過ぎたるがごとく、かえってその食をもって人命を損ず。
また粗食をもって相応の養いをとるときは、草木のよく成長するがごとく、無病にして、自ら長寿を得。
これによりて大食過食をなす者は、己れの命を的にして矢を射るがごとし。
これみな心賤しきにより。
これを眼前の餓鬼道という。
また人面獣心ともいう。
…(中略)…
総じて飲食を過ごすときは心自ら濁り、気、自然に重くなり、迷いの心を生じ、その道をえがたし。
水野南北 『南北相法極意』より
人が生命活動を維持するうえで、“食べる”ことを疎かにすることはできません。
しかし、生命活動でもっともエネルギーを使うのは、実は食べ物を消化することだとも言われています。
実際に消化には、大量の気血を消費します。
たとえばお昼ご飯を食べた後は、眠たくなりますよね(p_-)
これは血液が消化器に集中し、脳へ上る血の量が少なくなるために生じる、生理的な理由があります。
ですから食べ物をたくさん食べれば食べるほど、全身の血液は胃腸に集まり、頭は貧血状態になって、ぼんやりしてしまいます。
消化するためにエネルギーを消費し、睡眠時間も長く必要とするようになるのです。
巷ではプチ断食などが流行っているようですが、
実体験から、小食に心がけていると、身体が軽くなり、集中力も高まりますし、精神的にも安定して穏やかです(*^_^*)
食べる”量”は、心身への影響だけではありません。
水野南北さんのように、当時日本一と謳われた観相学の大家が、ご自分の体験やたくさんの例をみて、運勢を良くする極意を“節食にあり”と説いています。
その理は、
“わが借りたるものを返すは天地の理なり”
この一文に良く現れています。
宇宙に隈なく溢れている“気”を、わたしたちは食と呼吸という行為で頂いて、自らの生命力を充実させます。
ここで大切なのが“分”。
“気”は不足もアンバランスですが、“適切な分”を過ぎるのもまた、アンバランスなのです。
適切な分より多く飲食すると、何等かのカタチでその精算…というより、バランス調整が入る。
それが、その人の持つ良い運勢や徳などの、見えない“貯蓄”を、切り崩すことになるわけですね。
“食”と“人の運命”とが、密接に関係している。
これは、”自然と自分がつながっていてめぐっている”、という感覚を持って考えると、納得できるお話です。
飲食物の豊富な・・と言うよりも氾濫している現在、欲を抑えて小食を心がけるのは、意外と精神力を試されますよね。
お腹が空いているか、いないか、を自分に問うと、それ程空いてもいないのに、食べ物を口にしていることが多いくらいです(・・;)
単に自分の体重の増減や健康のためだけに小食に心がけるのではなく、自然から頂く恵みを、“適切な分”に止めるように、お互いに努力してみましょう。
そして、体調が優れない時。
お薬や身体に良い食べ物を、加えてみるのも良いでしょう。
でも、意外ですが、足し算の健康法ではなく、引き算の健康法も、これからの時代には必要となるかもしれません(*^_^*)
”ある日の食事” 梅と昆布のもち麦ごはんのおにぎり 小松菜と根菜のお味噌汁 切り干し大根と煮物 |
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