そう言うと驚かれることが多いのですが、日常生活で特に不便を感じることはありません。
確かに、情報発信源としてテレビの役割は大きいので、私に入ってくる情報は少ないと思います。
けれども、大切な情報は自分から求めていきますし、知るべきことは、大抵何らかの形で入ってくるから不思議です。
何か知りたいことがある時などは、インターネットはおおよその外郭を掴んだり、どの書籍に詳しいかという情報を得るのに、本当に重宝します。
一昔前は、自分が知りたいことを知るのに、本当にたくさんの時間と労力が必要でした。
一昔前は、自分が知りたいことを知るのに、本当にたくさんの時間と労力が必要でした。
便利な世の中ですね(^^)
同時に、インターネットを閲覧していて、その情報の多様さに驚きます。
同じキーワードでも、解釈や切り口によって、内容がかなり違うものもあります。
同じキーワードでも、解釈や切り口によって、内容がかなり違うものもあります。
これだけ情報が溢れていると、一体どれを信じれば良いか分からなくなりますよね(・・;)
大学の頃、メディアリタラシー(情報を評価・識別する能力)という授業がありました。その時、実際にテレビ局のプロデューサーでもあった講師の先生が、何度も言われていた言葉があります。
“メディアを信用するな。
情報を鵜のみにするな。
これからはますます、情報ツールは多様化・充実していくだろう。
しかし情報を扱うのも求めるのも、人間であることは変わりない。
情報を選り分け、判断するのは、最終的には受け取り手である私たちである。“
情報の受け取り手である私たちの質を上げなければ、情報が溢れていても、それを正しく受け取ることは出来ない、と言うことです。
また、それ以前に、世の中には、実は、“自分に必要のない”情報が、意外と多いように思います。
…“必要がない”だけならまだいいですが、もしかしたら悪意ある“有害”な情報もあるかもしれませんね(・_・;)
物事には陰と陽・正負・メリットとデメリットが、必ずセットであるものです。
テレビや新聞が言うから正しい、という判断基準は、自分で考える力を失ってしまった証拠ではないでしょうか。
単純に間違いということだってあるし、情報を発信する側の恣意的な脚色や、もしかしたら意図的に隠されている事もあるかもしれません。
情報一つにしても、その表層に惑わされることなく、それを冷静に、客観的に判断していく必要があります。
情報もまた、自分に取り入れることによって私たちの心理に影響する意味で、“食べ物”に似ています。
バランス感覚を育てて、質の良い、本当に自分に必要な情報を、選ぶことができるようになりたいものですね(*^_^*)
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