寛永・享保・天明・天保の四大飢饉をはじめ、江戸時代は冷害や干ばつ・水害などによる凶作にたびたび見舞われます。
特に元禄・宝暦の飢饉は東北地方で大きな被害をもたらしたとされ、後の世の人々に一人の餓え人も出ないようにとの祈りを込めて、救荒食(日照りや冷害などによる食糧危機の時、急をしのぐ食糧)となる草木をまとめた冊子が作られました。
米沢藩主上杉鷹山(治憲)の命によって編まれた『かてもの』や、一関藩の侍医建部清庵の著した『備荒草木図』などです。
『かてもの』 出典:国立国会図書館デジタルコレクションより |
『備荒草木図』 出典:国立国会図書館デジタルコレクションより |
救荒食となる草木は、アクが強く、そのままでは食べられません。
そこで、庶民にもわかりやすい簡潔な文面で、『かてもの』はイロハ順に、
『備荒草木図』はイラスト付きで、それぞれいざという時に食糧となる野草や木の若芽・根や、その毒にあたらないための食べ方が記されています。
たいていが茹でて水に浸し、アクを抜くのですが、『備荒草木図』などは、ほとんどが「塩味噌に調へ食べし」とあります。
どんな食べ物も塩気がなければ美味しくありませんが、この場合は単に味付けの問題ではなく、お味噌の解毒作用を考慮したアドバイスだと思います。
ところで、『かてもの』には、
「味噌・塩をまじへて食わねば大事に至るよしに候へば、必ず味噌塩にて調へ食ふべく候事」
(*意訳:飢饉で飢えて衰えた身体には、食あたりなど大変なことになるので、必ず味噌や塩を合せて食べるように(`^´))としたうえで、「村役共常に心を用べきヶ条」として、こんな一文があります。
凶年(不作)に当て、穀につぐ大事の物は味噌と塩とに候。
平年穀食するだにも、味噌・塩なくしては、穀の用をなさず、況(いはん)や穀食乏しく木の葉、草の根を食ふときをや。然らば塩と味噌との世話に心をつくすべし。
主食(又は代わりとなる食糧)と共に、味噌と塩は必須のもの。
もしもの時に備えて、味噌や塩を備えておくように。
と、その心構えを、村役などの役付きの人たちに具体的に示し、さらにこの後、さまざまな種類のお味噌のレシピを紹介しているのです。
これらの救荒食の冊子が作られた背景もそうですが、昔の人の意識の高さというか、人としての質の高さを垣間見ることのできる一文です。
防災の上でも、“食”と“医”(いざとなれば、外用薬としても使えます)を兼ねる働きをもったお味噌はとても優れています。
発酵食品ですので、他の食料と違って長期保存がききますし、家庭で常備していて困ることはありません。
今の行政機関にも、賞味期限付きのカップ麺などより、ぜひ味噌を作っておいて欲しいものです。
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