信州白馬の姫川の源流―
地中を長い時間をかけて巡ってきた水が、唐突に湧き出す場所です。
それまで静かだった森が、水音を奏で出す瞬間を目にすると、不思議な気持ちでいっぱいになります。
今、湧き出たこの水は、川になり、あるいは海にたどり着き、あるいは気化して雲になり、どこかに降り注ぐ雨になるかもしれない…誰かに飲まれるかもしれないし、植物に吸い上げられて、食べ物になるかもしれない。
そうやって、カタチを変えながら、常に巡っている。
水は、まるで自然界の血液のようですね。
さて今日は“気血”について。
身体の中には、いつも血液が巡っています。
これは誰もが知っていること。
東洋医学ではここに、“気”というものの巡りを加えて、人体の生命活動を説明します。
さてさて、“気”というのはカタチが無い上に、目に見えません。
でも「やる気がでない」とか、「元気になる」とか、言いますよね。
「気力」とか「生気」などの言葉もありますし、意外とみなさん“気”を意識せずとも何となく分かっている気がします。(←あ、この“気”は気持ちの方の気かな(^_^;))
では「元気」の“気”って何でしょう?
といわれると、ちょっと説明できませんよね。
東洋医学的な解釈でいけば、“気”というのは、身体の中を絶えず循環し、人体の生理機能を運動させる動力、言ってみれば、“エネルギー”のことです。
“気”―精気・元気などともいわれる、この生命エネルギーのチャージ方法は、以前の記事でも取り上げました。
“気”がなければ、全身に血が行き渡りません。
血液は心臓が動くことで全身を巡るのですが、そもそも“気”がないと臓器も動かないのです。
でも、“気”だけがたくさんあっても、運ぶモノがなければ全然意味がないですよね。
何を運ぶかというと、“血”です。
「血と気とは異名同類なり」
(意訳:血と気は、名前は違うけれど、同じようなもの)
-黄帝内経素問霊枢 営衛生会篇第十八-
という言葉があります。
「気は血の師」と言われ、“気”の動力によって、“血”は絶え間なく全身を循環します。
つまり、“気”が行けば“血”も行き、“気”が滞れば“血”も滞る。
また、“気”の活動は、“血”の供給する栄養のおかげで作用できます。
“気”を生み出すモトですから、「血は気の母」なのです。
…なんだか、ややこしくなってきましたね…
“気”がないと、“血”は巡らず、
“血”がないと、“気”が生まれない。
要するに、“気”と“血”は相互に依存し、分けることのできない不可分の関係にあるわけです。
ですから、“気血”のどちらかのバランスが崩れると、双方に影響が出ます。
ところで、“気血”は、主に食べた物を基に作られ、チャージされます。
そして、これらが体内を循環することによって、五臓六腑を養い、正常な機能を保ち、生命活動を維持しているのです。
“気血”が相互にバランスを保ち、順調にめぐっている状態が“健康”。
“食べ物”が重要なのは、言うまでもありません。