2016年12月13日火曜日

金平糖の角


ヒメツルソバの群生が、斜面いっぱいを埋め尽くすように咲いていました。


桃色と白が入り混じるように咲いていて、とても綺麗でした。

この可愛らしいお花は、金平糖を思い出させます。
 
 
 

ずっと前に、“金平糖”を哲学(?)したことがありました。

 
自分自身を金平糖に例えた時。

とがった角は、自分の我、悪い所、欠点…誰かを傷つける自分の短所だとします。

ずっと、この角を削って、丸い球体になるのが、“成長”なのだと思っていました。


でも、その作業の辛いこと辛いこと…

ある時ふと、これは削るべき角ではないのではないか?と思うようになりました。

 
角も、金平糖です。
 
短所も、自分自身ですものね。

 
とがった部分を欠点として取り除くのではなくて、それごと包み込んであげることが出来たら。

凸凹の、凸を削るより、凸ごと包み込んで、凹を埋めたら。

もっと大きな円周を描く〇になれるな~と…超が付く前向き思考です!


それに、例え完全な球体になれなくても、歪なままでも、それはそれでいいのだろうと思います。

 
不足を埋めてくれる、やっぱり歪なカタチの他の球体があれば、それはお互いを補い合う存在、ということですから。


ものの見方を変えるだけで、今まで“こうだ!”と思い込んでいたことが、全然違った姿を見せてくれることがあります。

 
バランスの妖精、ヘイちゃんの言う、「欠点は、もっと大きなバランスをつくるためにあるのかもしれない」という言葉は、こんな気づきから生まれたものです。


2016年10月27日木曜日

バランス絵本③-五つの味の組み合わせ方-

バランス絵本第三段。
「五つの味の組合わせ方」の動画をUPしました。
ようやく、ひ、ふ、みにたどり着きました。

食べ物を五行に当てはめると、五つ味に分類されます。
それが、酸味・苦味・甘味・辛味・鹹味(カンミ=しおからい味)です。

これらは、五行の相生・相克の原理をそのまま踏襲しています。

どの味とどの味を組み合わせると、バランスが良いか。

を、分かりやすく説明したつもり…ですので、どうぞお子さんの食育や、ご家庭の日々の食事にお役立てください(*^_^*)

ヘイちゃんのバランス絵本~五つの味の組み合わせ方~動画↓

2016年10月26日水曜日

秋は実のもの


秋も深まってきました。


 
陰陽五行を基礎理論とする東洋医学では、この時期は五行の金行に属すとし、臓腑は肺・大腸と関わりがあると説いています。

 
陽気が最も高まる夏のピークを境に、自然界は陰の気のシークエンスへと移行します。
すべて季節というのは、自然界の気の運動がもたらす変化によって生じるものですが、秋というのは、陽から陰へとシフトチェンジする時期な訳です。

 
四季で言えば春と秋が、陰陽の気の偏りが少なく、気温もちょうど良いので過ごしやすい季節でもあります。


夏や冬は、衣類は暑さ・寒さの対策が第一になりがち。
だからこそ、春先と秋口は、おしゃれも楽しい季節(*^_^*)
アパレル業界にいる友人に聞いた話では、お洋服の売れ行きも良いのだとか。

 
もっとも、最近はこの”ちょうどよい”季節が、あまりなくなってきましたね。

陰と陽の切替えの仕方が激しすぎて、この間まで暑かったと思ったら、もう寒い!
これでは、オシャレがどうこう以前に、身体もついてきてくれません。

気候というのは、自然界のバランス運動によって生じています。

陰と陽の気が両極にふり幅を大きく偏るようになってきた影響は、巨大台風の発生や、極地的な降水量の多少(ある地域では大洪水、一方では砂漠化)の原因にもなるでしょう。

今の世の中、気候も社会も経済も、全てが、両極端になりつつあるのかもしれませんね。

中庸というか、“ちょうど良い”を目指したいものです。

 
さてさて、話がそれました。

秋のお話。

薬膳では、肺・大腸を助ける味としては、辛味を配当しています。

空気が乾燥し、ひんやりとする時期ですので、呼吸を司る肺から、風邪などをひきやすい時期です。

こうしたトラブルに対処すべく、辛味の力(殺菌力・気血を巡らせる力)で守ろうということですね。

また、日本では、昔から「秋は実のもの」とも言われています。

秋は果実や穀物、木の実などが実を結ぶ時期ですものね。

次世代の命を秘めた、エネルギーの凝縮した実を積極的に頂くのも、秋の養生のポイントです!

 


ところで、涼しくなってきて、何だか甘い物が食べたい!と思うことが多くありませんか?

暑い時には食べたいと全く思えない、サツマイモにカボチャ、栗…
男子は苦手な人も多いみたいですが、もっさりこっくり重たい系のスイーツも、ドンと来い!となるから不思議です。

白砂糖や油分はあまり摂りすぎないように、でも適度に満足させてくれる、秋のスイーツ食養生レシピをご紹介します。

 
秋の実のログ              

【材料】

ナツメヤシ(デーツ)*ソフトタイプ
ドライイチジク*ソフトタイプ
クルミ
アーモンド
シナモンパウダー適量
塩少々

材料をすべて細かく刻み、シナモンパウダーと塩を入れ、デーツとイチジクから程よく粘り気が出るまでよく混ぜて、平べったく押し、冷蔵庫で冷やしてカットして出来上がり!

かたまりが悪い場合は、ハチミツを少し加えて加減してみて下さい。
また、カットしないで丸めて、トリュフのようにしても良いです。
お好みの形に仕上げてください。

 

本草MEMO-イチジク

無花果の味は甘、性質は平。
「胃を開き、洩痢を止める。五痔、咽喉痛を治す」とあります。

 

本草MEMO-ナツメヤシ

黒砂糖のようなコクのある甘味の強いナツメヤシは、デーツという呼び名の方が知っている人も多いかもしれません。

イスラム教圏では、ラマダン(断食)の最中にも口にするドライフルーツです。

「生命の木」のモデルとも言われて、栄養価が非常に高く、聖母マリア様がイエスを懐妊中、あるいは出産後に最初に口にしたともいわれています。

『本草綱目』によれば、ナツメヤシの味は甘、性質は温。
「気補い、痰嗽を除き、虚損を補い、顔色を抑止、肥健にする」とあります。

 

2016年10月18日火曜日

秋の酵素作り

週末に実家で、秋の酵素を仕込んできました。
 

秋の酵素は、この時期に旬を迎える果物や野菜、穀類を材料にします。
 
りんご・ぶどう・柿・柘榴・カリン・棗・金柑・ホオズキの実など、近所や庭先で採れる果物に、親友の住む愛媛からレモン・ミカン・ライム・スダチなどの柑橘系を送ってもらって加え、さっぱりした香りに。

 
お野菜は、この時期に収穫される、南瓜・薩摩芋・じゃが芋・大根(葉・根)・人参・蓮根・ヤーコン・里芋・ゴボウ・ラディッシュなどの根菜類や、小松菜・レタス・白菜などの葉物野菜、ピーマン・ナス・枝豆などの夏野菜にも、最後のご奉仕をしてもらいました。
 
他に、お米・もち麦・黒豆・ピーナッツなども加え、30種以上の秋の恵みをお台所に並べたら…

 
色とりどりで、新鮮だからキラキラしていて、とってもキレイ(*^_^*)

見ているだけでも、元気をもらえる気がします。
 

20㎏分の材料を、お隣の母娘さんとみんなで洗い、お話しながら切って仕込んで、楽しいひと時でした♪
 


 お隣さんやご近所の方々に恵んで頂いた材料たち

美味しい酵素になりますように(*^_^*)


2016年10月3日月曜日

本草MEMO-彼岸花


最近お散歩をしていると目につく、彼岸花。

 





枝も葉も節もない、スッとした茎の上に、真っ赤な糸のようなお花を咲かせる独特の姿で、田の畔に群生する見事な景色も目にしますが、お寺の境内やお墓の脇にひっそりと咲いている印象が強い花です。

 

曼珠沙華という別名の他に、死人花、地獄花、幽霊花などと言った不吉な異名も多く、有毒の植物でもあるためか、あまり好かれていないのかもしれません。

 

確かに、このお花はどこか浮世離れしていて、“彼岸の世界のお花”のイメージがあります。

でも、綺麗ですよね。

割と好きなお花です。

 

『本草綱目』によれば、根は辛・甘、温の性質ですが、やはり毒があるとありますので、食用には向きません。

ただ、腫れを引かせる効能があるようで、根をすりおろして塗布すると良いのだとか。

 

毒と薬は紙一重。

上手に植物の力を借りれば、いつでも心強い見方になってくれます。
 
紅白の彼岸花
 

2016年9月21日水曜日

今日は人こそ かなしけれ

大学時代のノートの端に書いてあったメモ。
 
昨日見し人 今日はなし 
 
今日見る人も 明日はあらじ
 
明日とは知らぬ我なれど
 
今日は人こそ かなしけれ
 
-『宝篋印陀羅尼経料紙今様』より-
 
『平家物語』の講義ノートに書かれていたので、源平の争乱期、末法末世の思想に関連があると思って書いたのでしょうか、よく覚えていませんが…


この歌、ずっと“哀しい歌”だと思っていました。
 

何一つとして、絶対のものはなく、完全のものもなく、時の流れとともに盛衰していく…

「昨日見た人が、今日はもう(この世に)いない」というのは、少しばかり誇張した言い方ですが、「昨日」を「過去」に、「明日」を「未来」に置き換えれば、誰にでもあてはまる内容です。


そんな人の世の儚さをうたっているとばかり思っていたのですが、最近、この歌が違った響きを持って聞こえるようになりました。


「かなしけれ」という言葉、原本を見たことが無いので、「かなし」がどのような表記をされているのか分かりません。

でも「かなし」には、文字通り「哀しい・悲しい」という意味もありますが、もう一つ、「愛おしい」という意味もあります。

 
過去にはまだ無かった、未来にはもう無い、それくらい儚い存在だからこそ、今日生きていることが「しみじみと愛おしい」という意味にも、とれるかな~と。


過去にはまだ無かった、未来にはもう無い。


考えてみれば、これって、当たり前のこと、というか、至極自然なことですよね。

人の一生だけでなく、例えば花でも、食べ物でも、建物でも、街でも、細胞でも、星でも。


スパンが短いか長いかの違いだけで、全てのものに共通することです。


それを「儚い」と嘆くのか、「尊い」と喜ぶのかは、時代背景や心情にも左右されますが、やっぱり喜んで生きたいと思います。


昨日はまだあったのに、今日はもうない、シャインマスカット…おいしかったです(^^)
 

2016年9月9日金曜日

菊の節句

99日は五節句の一つ、重陽(ちょうよう)の節句です。

*陽数である奇数の極みである「九」が二つ重なるところから、「重陽」と言う。この日を陽数の重なる「おめでた」日とする一方、陽の気が強まり過ぎるため逆に「陰」を呼ぶ不吉な日とされ、邪気を払う行事が行われたのが五節句の起源とも言われる。

一桁の奇数の中で最も大きな「九」が重なる日。
重陽の節句は、日本ではなぜか、一番影が薄くなってしまいましたが、この日にもちゃんと植物に由来する別名があります。
それが、“菊の節句”

平安時代の宮中では、この日、不老長寿を願って、菊酒を飲んだり、前夜(98)に菊の花に綿を被せ、その夜露を含んだ綿で身体を拭き清める「菊の着綿(きせわた)行事

*菊と不老長寿の関係については、菊の露を飲んで数百年生きても少年の姿のまま、不老不死となったという「菊慈童」の伝説があります。能の曲目ともなっていますね。

菊は『本草綱目』によれば、花・葉・根・茎・実ともその味は“苦”、性は寒熱の偏りのない“平”
若葉や花は茹でて食べれるということから、食用にもなります。

その効能については、頭痛やめまい、腫痛、目の違和感などに有用とされ、「久しく服すれば血気を利し、身体を軽くし、老衰に耐え、天然を延べる」とあります。

また目の血を養い、肝気不足に主効があるとされ、面白い利用法としては、「枕にして用いれば、目を明らかにする」んだとか。


日本の宮中行事では、単に菊の花を盃に浮かべて風流に頂いたようですが、『本草綱目』にある、もう少し効果のありそうな菊酒レシピをご紹介します(*^_^*)

【白菊花酒】                                            

花と葉を採取して乾燥させ、それを細かく切って、絹袋に入れ、酒の中に七日間浸す。
それを日毎に三回服す。

簡単そうでしょう??

食用の菊などは、酢の物和えなどにしてもいろどりが綺麗です。
ぜひ菊の効能にあやかってみてください。


ステキな“菊の節句”を!



2016年9月8日木曜日

肉食信仰を考える

お肉を食べれば、元気になる。
お肉を食べなければ、力が出ない。

こんな風に口走って、晩ごはんのおかずにお肉をねだる方、結構多いのではないでしょうか?
身体を使うお仕事の方や、若い男性などは特に、お肉を欲して止みませんよね()

外食で食べ物のリクエストを聴けば、第一声が“お肉”との回答が良く聞かれますし、
男性はもちろん、女性もお肉好きを公言する人が多くて、びっくり。
それに電車の広告やCMを見れば、「御馳走=お肉」の方程式が多い。
年配の方でも、「お肉が大好き」と言われる方が多いらしく、今や「お肉は元気の源」と言うイメージが定着していますね。

ちょっと考えてみましょう。

お肉と言えば、タンパク質
アミノ酸によって構成されるタンパク質は、脂質・糖質に並ぶ、三大栄養素の一つです。
筋肉や臓器、皮膚など、カラダを作る要素として、とても大切。

わたしたちのカラダは、主に20種類のアミノ酸から構成されていると言われています。
中には、体内で十分な量を合成できず、食べ物から摂取しなければならないものもあります。
人の場合は、9種類あると言われ、これが必須アミノ酸ですね。

*必須アミノ酸:トリプトファン・リシン・メチオニン・フェニルアラニン・トレオニン・バリン・ロイシン・イソロイシン・ヒスチジン

さて、ご存知の通り、タンパク質には動物性植物性の二種類があります。
必須アミノ酸にのみフォーカスするなら、9種類をバランスよく含む動物性タンパク質に対し、植物性タンパク質は一部不足しており、食品を組み合わせる必要があるそうです。
動物性タンパク質の方が、アミノ酸バランスが優れている、と言われる由縁ですね。

ですが、動物性タンパク質の方が優れている=肉食が良い、という方程式は、単純には成り立ちません

第一に、タンパク質を豊富に含む動物性食材の上位は、魚介系が大半を占めている、ということ。
第二に、お肉はタンパク質と同時に、脂質が多く含まれている(つまりタンパク質摂取のメリットと同時に、脂質多量摂取のデメリットを併せ持つ)、ということ。

魚介、特に青魚に含まれる脂質は良質ですし、素直に考えれば、動物性タンパク質は、魚介から摂取する方が得策です。
*脂質については、また別稿で取り上げるとして…

さらに。
果物や炭水化物と比べて、お肉を消化するのには時間がかかります。
また、過剰摂取したお肉は、アミノ酸として分解・吸収されずに、腸内で腐敗し、体内毒素を作りだす、とも言われています。

考えてみれば、お肉を37℃のお部屋に数時間放置したら、普通に考えて腐敗しますよね。
これが体内で起きていることをイメージすれば、分かりやすいのではないでしょうか。

また、お肉というのは、大体が血熱を持たせる食べ物です。
さらに“温性”である“油”と合わせた調理法も多い。
血熱が高くなると、循環器系にさまざまなリスクが生じると言われています。

日本人は肉食文化ではなく、穀類を主食としてきた、どちらかと言えば草食系の民族。
西洋の人と比べると、腸が長い、とも言われますね。

肉食が始まってから、日本人の大腸がんが劇的に増加した、という因果関係も指摘されていますし、高血圧や動脈硬化など、そのリスクは確かにあると思います。

肉食をする上で考えたいのが、もう一つ。
これは、お肉に限ったことではありませんが、“食べ物がどこから来るのか”、を考える必要があります。

お肉は、もとは牛や豚、羊や鳥たち。
彼らが“何を食べて育ったのか”が、とても大切です。

食べ物というのは、“何か”が姿を変えたもの
「お肉」と一言でいっても、その背景は決して無視できないのです。

極端な話ですが、狭い牛舎で、カップラーメンだけを食べて育った(牛がカップラーメンを食べるかどうかは置いておいて…)牛さんと、広々とした牧場で牧草を食べて育った牛さん。
同じ牛さんの姿をしていますが、構成要素は“同じ”でしょうか?

考えるまでもないことですよね。
食べ物の違いだけでなく、環境が牛さんのメンタルに及ぼす影響から見ても、雲泥の差があります。

家畜飼料には遺伝子組換えのトウモロコシが使われ、
成長を早めるためのホルモン剤が投与され、
狭くて劣悪な牛舎環境から生じる病原菌対策として、過剰な抗生物質が投与される…

全て人の都合で、不自然に不自然を積み重ね、化学的に生産・加工された“お肉”という製品が作られているのです。

こうした背景やその他の影響を問わず、ただデータ上「必須アミノ酸を全て含んでいる」から、「肉食万歳ヽ(^o^)丿」となるのは、とても短絡的で危うい考え方だと思えてなりません。

また、メリット以上にデメリットの要素が多いのに、含まれる栄養素だけをみて優劣をつけることに、あまり意味が無いと言うことも、分かって頂けると思います。

タンパク質を得るなら、同じ動物性でも魚介や、魚介を原材料とした乾物などからも効率的に得られますし、植物性タンパクの代表、大豆やその加工製品である納豆・豆腐・味噌は、必須アミノ酸も賄えて、リスクも少ない。

お肉を食べることを、否定しているのではありません。
適度に、美味しく頂けば良いと思います。
でも、お肉に限らず、食べ物を食べれば、“元気”はもらえます。

お肉を食べれば、元気になる。
お肉を食べなければ、力が出ない。

こうした昨今の過剰な“肉食信仰”は、食養の観点から見れば、疑問があります。

ちなみに、長生きしている人の大半が「お肉が好き」と答えると、誰かが言っていました。
確かに、昨年90歳超で他界した祖母も、「お肉大好き!」でしたね(^_^;)

ただ、だからと言って “肉食が長寿の秘訣”とは言えないと思います。

祖母は、若い時からお肉を食べていたわけではありません。
戦時中~戦後の粗食に耐えた世代です。

わたしは玄米や雑穀米を好んで食べたのですが、祖母は「貧しい時代を思い出す。白いごはんがいい」と言って、それを嫌いました。

カラダを作る子供時代から20歳過ぎまで、祖母が耐え忍んだ“粗食”
この粗食こそが、90歳を過ぎても肉食を可能にする消化能力を養ったのだろうと思います。
祖母の子供時代には、化学調味料などに汚染された食べ物はなかったですし、農薬や化学肥料も無縁の時代でしたしね。


だから、昨今の高齢者の「お肉が好き」は、それだけ高い「消化能力」と「健康体」を持っている、ということであって、「肉食だから長寿」だとは言えないはずなのです。

幼少時から肉食可能だった世代が、高齢者になった時、果たして同じように健康で食べられるかどうか…これは、もう少し先に、証明されるでしょうね。

“肉食信仰”だけに限らず、今の世の中は非常に浅くて、ある意味偏った価値観が遍満しています。
何か一つだけを判断基準にして、物事を定義付けることはできません。
物事を深く、広く見つめる思考を養い、情報に流されないバランス感覚を育てて欲しいと願います。

いずれにしても、食べ物は感謝して頂きたいですね。



2016年8月12日金曜日

法師ゼミの鳴き声

立秋を過ぎて、なんとなく暑さの質が変わったように感じます。

アスファルトのそこここに、蝉の亡骸を数えるようになりました。

夏の終わりの夕暮れ時、ヒグラシの
“かなかなかなかな…”
という声に混ざって聞こえてくる、ホウシゼミの声。

カタカナで表記すると、

“ツクツクホーシ ツクツクホーシ…”

になるでしょうか。

これ、聞こえる音を、そのままカタカナにしたのかと思っていました。

大学のとき、他学部の講義にもぐりこんでいた時のこと。

東洋美術史だったか、文化史学だったか…もう正確には覚えていませんが、日本の文化の特徴を、西洋文化と比較して見るような講義内容でした。

日本文化の根底には、自然を敵視したり、支配しようとするあり方ではなく、自然と一体化し、調和するという姿勢がある。

文化というのは、衣食住すべてに影響するものであり、日本の美的感覚というのも、“自然”との関係を無視できない。

美術品を美術品として、額縁の中に絵画を納めて鑑賞するのが西洋的な感覚なら、
美術品を美術品として、生活から切り離したものとして考えず、生活の中に融合させるのが、日本の美的・文化的特徴と言える。

確か、こんな感じのことを言われていた記憶があります。

西洋文化と東洋文化の比較は、例外もあるでしょうけれども、分かりやすいですね。

”自然”に対して、”人”というものが、対外的に意識されるのとは違い、東洋、特に日本文化は、自然と人が一体のもの、もっと言えば、人は自然に包括されるもの、として考えているところがあります。

そうすると、生活もまた“自然”であり、美術もまた“自然”である…境界線が曖昧になってきます。
文化的価値のあるものとして知られる代表的日本画の多くは、確かに屏風やふすま、団扇や扇子など、生活の中に溶け込んだものに描かれています。

わざわざ人の手をかけて、枯山水の庭に宇宙を描き、焼き物で苔むした岩を表現しようとするのも、盆栽に樹齢数百年の大木を模するのも、 “自然”が美の基準であり、美の神髄として表現されるものだからなのかもしれません。

この日本文化の特徴を、“自然”のミニチュアに過ぎない、と評価する人もいるかもしれませんね。

でも、 “自然”の時間の中で、人ひとりの生きる時間は、一瞬に過ぎません。

その短い時間の中で、人に与えられた時間では、決してたどり着けないような、自然の変化を表現する、というのは、とてもストイックで、そして命について真摯に向き合う姿勢でもあると思います。

教授が余談で話された、ホウシゼミのお話が、印象に残っています。

あれは、過ぎゆく夏を惜しむ、人の心を託した鳴き声。

“夏が終わるのが、つくづく惜しい、つくづく惜しい”

昆虫である蝉の鳴き声を、 “ノイズ(雑音)”とせず、“虫の音”とか、“虫の声”と表現するのも、また日本人独特の感性と言われます。

毎年変わらずにめぐってくる夏だけれど、同じ夏は二度とない。

命の価値を知るからこその、一期一会だったり、虫の音を慈しむ心なのかもしれません。


2016年8月9日火曜日

目に見えるモノ、見えないモノ~"色即是空 空即是色"

ヘイちゃんのバランス絵本。
ひ、ふ…ときて、三冊目、“み”の制作が難航中です(;_;)
ちょっと逃避。

つらつらと考えたりすることを、徒然に…

唐突ですが、わたしたちは、物質化された階層、三次元の世界に生きています。
でも、目に見えるモノだけで、この世界が構築されているか、というと、どうでしょう。

例えば、心。
人の想いとか、想念と言われるものには、カタチがありません。
でも、それでは“存在しない”のか?
というと、やっぱりそうは思えない。

人を好きになる気持ちとか、何かを大事に慈しむ心が、目に見えない=存在しない、とは、思いたくないですよね。

“想い”の世界というものと、物質の世界と言うのは、不可分に混ざり合って存在しているように思えます。
言ってみれば、想念というのは、カタチになる前の状態、なのかもしれませんね。

目に見える、物質化された世界と、目に見えない、物質化する前の世界。

仏教ではこれを、“色即是空 空即是色”と説明しています。

*色は”目に見える物”、物質化したもの。
 空は”目に見えない物”、物質化する前の本質。

こういう言葉を使うと、そこはかとなく“宗教”の匂いが漂ってくるように思われますが、この言葉はとても理路整然としていて、科学的だと思います。

“目に見えるモノしか信じない”、とか、”目に見えるモノが全て”という人もいますよね。
でも、”目に見えるモノ”の定義って、結構曖昧で、良く分からないものです。

例えば、リンゴが一個、目の前にあるとします。

今は、目に見えて、そこに“在る”。
でも、このリンゴが出来る迄、時空を遡れば…

一つの種から始まり、それがやがて芽を出し、木が育ち、何度目かの花を咲かせたうちの、一つが実ったとしたら。

“今”、物質化され、可視化された状態になるまでの変遷過程に置いて、それは、“無かった”ことになるのですかね。

それに、例えば、そのリンゴを“食べて”しまったら??

リンゴを食べたからと言って、わたしたちのカラダのどこかが、リンゴになるわけではありませんよね←当りまえ。

リンゴとカラダは、“同化”するわけです。
“同化”って一言で言えば、とても簡単ですが、どういうことなの??と、考えてみてください。

リンゴのカタチをしたモノを食べて、それは消化されて、リンゴ酸だの、カリウムだの、栄養素に分解されて、それが“吸収”されます。

こういう説明をされると、案外するっと入ってくるというか、説得力がありますよね。
でも、それって、具体的にどういうことが起きているのか、見たことがあるの?と言われると…

リンゴは目に見えるけれど、リンゴ酸って、見たことありますか?
カリウムなんて、元素の一つです。
あるのでしょうけれど、目に見えるか、と言われたら、認識できません。

でも、確かにカラダの中では“何か”が起きていて、食べたモノとわたしたちのカラダは、“ひとつ”になる

ほら、こうして考えてみると、目に見えていなくても、なんとなく信じていることって、色々あるんですよね。
そしたら、あんまり“目に見える”ことに、こだわらなくてもいいように思います。

もっと言えば、“リンゴ”という定義も、“肉体”という定義も、“あるカタチを持って存在している”時点でのみ、そう判断されているにすぎません。

だって、時空を遡れば、それらは生まれる前には、まだ無かったのです。
それに、時が経てば、人はいつか死にますし、リンゴも放っておけば土に還ります

“目に見えているモノ”は、数秒前にはまだ無くて、数秒後には無くなるような、結構心許ないものだったりするんです。

それだけが“絶対”の価値基準だと言うのは、ちょっと不自然な気がします。

反対に考えれば、カタチが無くなって、目に見えなくなったら、それは“存在しない”と言うことには、単純にはならないでしょう。


目に見えている物と、目に見えない物との境界は、本当はないのかもしれません。


“色即是空 空即是色”にしてもそうですが、物質化されたモノを“陰”、物質になる前の本質を“陽”と置き換えれば、これらが不可分にして、どちらかだけでは成り立たない関係であることが分かります。

これらは、先人達が“見た”のではなく、“観た”(観じた)、この世界の姿、宇宙の本質なのでしょうね。

今、目に見えない本質から、目に見える物質が生まれる瞬間を、“見る”ことは、出来ないかもしれません。

でも、わたしたちにも、“観じる”ことは、出来ます。

まだ現代科学もたどり着かない世界では、きっと、わたしたちが“まだ存在を認識できていないだけ”の物事が、たくさんあるんだろうな、と想像します。




2016年8月1日月曜日

土用について

週末730日は、“土用の丑の日”でしたね。

今回は、“土用”について。
“土用”というのは、五行に由来します。

目下℃昏睡…わ!自動変換がすごいことに…(・・;)

木・火・土・金・水、それぞれの行に、季節を当てはめると、
木行が春。
火行が夏。
金行が秋。
水行が冬。

あれ、四季は四つしかないよ~、と言うことで、土行に当てはまる季節がありませんね。

そこで、春夏秋冬、全ての季節から、少しずつ土行のために、季節を分けてあげます(*^_^*)

大体、立春・立夏・立秋・立冬の前、1819日の間

この期間を、“土用”というのです。

ですから、“土用”というのは、夏だけではありません。
春にも秋にも冬にも、あるのですね。

*ちなみに、“丑の日”というのは、日にちを十二支で数えたものです。
今年は“申年”ですね。
干支は年だけでなく、月・日・時刻・方角などにも割り当てられていました。
“土用の丑の日”というのは、春夏秋冬それぞれにある土用の期間の、干支では“丑”の日のことになります。


この土用というのは、言ってみれば“季節が移り変わる期間”です。

土行に配当される五臓は、“脾”、腑は“胃”

季節の変わり目の土用には、脾胃を養生して、来るべき新しい季節にベストなカラダを準備したいもの。

特に夏の土用(正確には、立秋前の土用ですね。夏から秋への変わり目に位置づけられます)は、気候の上でも最も厳しい暑さで、食欲が落ちる時期です。
昔から、土用蜆・土用餅など、土用には滋養のつく食べ物を食べて、養生してきました。

わたしたちも、しっかり食養生して、夏本番も元気に乗り越えましょう!

余談ですが、“土用の丑の日”と言えば、“鰻を食べる日”と思っている方が、多いのではないでしょうか。

“土用の丑の日”と“鰻”の関係。
これには諸説あるようですが、江戸時代の奇才、平賀源内の発案と言うのが、有名なお話。

鰻というのは、その性は“温”であり、実は冬が旬のものです。

売れ行きの悪い夏、どうすれば良いかと、鰻屋さんが源内さんに相談したところ、“丑の日に「う」のつく物を食べれば夏負けしない”という風習を上手に利用して、“土用の丑の日に鰻を食べる”という習慣を定着させたと言われています。

実際、鰻には、元気を回復させる効果があるのですが、それにしても、江戸時代に企画された販促効果が、現代でもしっかり結果を出しているなんて、面白いですね()

「う」のつく食べ物としては、梅干、瓜、うどんなどが思いつきますが、いずれも夏の食養生で活躍してくれる食べ物達です。


*梅干は酸味が疲労を回復し、夏バテを防止。さらに殺菌力の高さから、食あたりなどのリスクを軽減してくれます。

*瓜(胡瓜・西瓜・冬瓜等)は、夏野菜の代表格として、カラダの熱を冷ます作用を持ち、水分補給にも最適です。

*うどんは、消化も良く、滋養効果が高い食べ物。原料である小麦は、“心の穀”ともいわれ、夏に最も負担のかかる“心”を助けてくれる効果もあるのだとか。


最後に、夏の土用の食養生レシピを、江戸時代のレシピ本『豆腐百珍』からご紹介します♪


【ハンペン豆腐】                                       

ながいもをよくすり 豆腐水をしぼりて 等分によくすりまぜ まろくとりみの紙に包みて 湯烹す 白玉ようふともいふ


…原文のままだと、ちょっと再現しにくいので、これをベースに作り方を書いてみますね(*^_^*)

〔作り方〕

   長芋をする。
   お豆腐はよく水切りしておく。
   ①②等分を、すり鉢でよくすりあわせる。
   ③をスプーンですくって、沸騰したお湯で煮る。

冷やして、薬味を添え、さっぱりと酢醤油で頂いても良いですし、梅肉で調味しても良いですね。
また、お湯で煮る他に、蒸しても、油で揚げても美味しいと思いますよ。
長芋もお豆腐も、胃腸の働きを助け、滋養してくれる食べ物です。

別に記事にした、”夏の養生法”を応用して、色々な食べ方を楽しんでみてください(*^_^*)