“無常”という言葉には、厭世観をあわせ持ったような響きが付きまといます。
“人の世ははなかい”
“生きることはむなしい”
日本の文化の根底には、この独特の人生観が見え隠れしています。
けれども、万葉集や上代の和歌などを見てみると、
割と(というかほとんどが(・・;))恋を主題にした歌が多く、
悲観的な表現もたいていが恋愛感情から生じている、言ってみれば幸せな嘆きです。
実際に恋に苦しんでいる状況の人からしたら、幸せでもなんでもないかもしれませんが…
それに、“花”と云えば“桜”が思い浮かびますが、上代の“花”は香りたつ“梅”が主流。
日本の文化はもともと、それほど“はかなさ”とか“むなしさ”にフォーカスしてはいなかったようです。
しかし、源平の争乱期や戦国時代を経て、
“人の世のはかなさ”を嘆く心が生んだ独特の人生観・死生観は、
日本文化に深く根ざしていくように見えます。
平家物語に曰く、
“祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり…”
“祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり…”
方丈記に曰く、
“よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし…”
いろは歌に曰く、
“色はにほへど散りぬるを 我が世誰そ常ならむ…”
春に一時に咲き、風にはかなく散る“桜”が、
日本人の精神性を象徴する花と言われるようになったのも、そのせいかもしれません。
“はかない”人生の中でも潔く美しく生きよう、とか、
“はなかい”人生だからこそ、人との一瞬の邂逅を大切にしよう、とか、
反対に“はかない”んだから楽しんでせつな的に生きよう、とか、
いろいろと時代や階層によって表現は変わっていきますが、
やはり日本文化を生み出す一翼を担う観念だと思います。
でも“無常”という仏教用語の本来の意味は、
“この世界の全てのものは、とどまることなく常に生じたり滅したりして移り変わっている”
ということ。
言ってみると宇宙の真理を述べた言葉に過ぎず、そこに哀しみや嘆きはありません。
静止した状態が無く、常に動き続けるめぐりの中にあるのが、この世の真理である。
生と死すらも、そのめぐりの法則の中のこと。
“無常”とは、
陰と陽が絶えずめぐるバランスを、一言で見事にあらわした言葉ではないでしょうか。
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