仏教の曹洞宗を開いた道元という人が、
“食べ物”との向き合い方を説いた「典座教訓(てんぞきょうくん)・赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」という教えがあります。
“典座”というのは、禅宗のお寺における役職の一つで、
修行する僧の食事や、仏さまへのお供えのお膳を担当する炊事係。
仏教の修行というのは、滝に打たれたり、座禅を組んだり…
ふだんの生活とはなじみのない特別なことをするように思いがちですが、
実は人が生きていく上で当たり前にしていることすべてが修行だとか。
道元さんは、その中でも調理や食事を頂くこと―つまり“食”こそが、とても大切な修行としています。
ですから炊事係である“典座”は、重要な役職なのだそうです。
教えには調理する人(典座)の心構えだけでなく、
食事を頂く人に対しても、食堂への入り方、食器の並べ方、食事の頂き方など、
シーンによって細かくその心得が説かれています。
中でも食事を頂くときに、五つの瞑想をするのだそうですが、
そのうちのふたつめに、
“己れが徳行の全欠をはかって供に応ず”
というものがあります。
“自分がこの食事を頂くに足るだけの正しい行いができている存在か…を考えて食事を頂く“
というような意味です。
目の前の食事を頂いて、生き永らえる資格があるのかどうかを自分に問う、
というのは、とても厳しい自分との対話ですね。
そんなことを考えたら、ちょっと気軽に食べることができなくなりそうです。
でも、ここまで厳しくしないまでも、
その心の在り方は見習うことができるのではないでしょうか。
わたしたちはふだん、何かを食べるとき、自分が“食べ物を食べている“つもりでいます。
でも、“食べ物を食べる”ということは、命をつなぐ行為です。
わたしたちの命をつないでくれるのは“食べ物”のおかげ、なんですよね。
“食べさせてもらっている”という感謝の気持ちがよくあらわれているのが、
“いただきます”や“ごちそうさま”という言葉なのでしょう。
毎日のことでついつい言いそびれてしまうこともあるかもしれない、何気ない言葉ですが、今日の食事を頂くときは、ちょっとだけ気持ちを込めてみてくださいね。
0 件のコメント:
コメントを投稿