2016年4月25日月曜日

お金は社会の気血?

経営者の方-特に男性とお話をしていると、“お金”についてのお話が出てきます。

さすがに様々な持論を持っておられる方が多く、どのご意見も興味深く伺うのですが、それにしても、お金って不思議だな、と思うことが良くあります。

物々交換の仲介役として、そのもの自体には、本来価値はなかったはずなのに、今やお金の影響力は世界中が認めるところです。

考えてみると、お金に価値を与えているのは、わたしたち人間。
社会の共通認識、システムとして、貨幣に価値を与えることを選んだのですよね。


さて、お金にも、様々なバランスがあります。
収入と支出のバランス。
それから、お金とモノの価値のバランス。


経済に巡るお金の量は、一定のバランスを人為的に調整されています。
モノの価値とのバランスが取れなければ、そもそもお金の価値が成立しません。
モノに価値がありすぎれば、第一次大戦後のドイツで起きたハイパーインフレのように、卵一個が3000億マルク超えのような、とんでもない事態になります。
反対にモノの価値が低すぎると、デフレの状態になる。
いずれも、バランスの悪い経済状況です。


お金は社会の中で、バランスの良い状態にするための調整役でもあり、エネルギーそのもののような働きをしているんですね。

社会にとってのお金は、身体にとっての”気血”と言えるかもしれません。


実際、お金と気血は本当に良く似ています


体内の気血の量は、ある一定のバンラスを保って巡っています。

ですが、身体中の全てに、平等な量の気血が配分されるわけではありません。
器官や部位によって、量には多少の差があります。

もちろん、どこの細胞であれ、気血が供給されなければ、正常な機能を賄えず、死んでしまいます。

では、気血が多ければいいかというと、そういう訳でもない。
分相応というか、必要な時に、必要な分が供給されるのが、一番良い状態です。


これを社会におけるお金に置き換えて考えてみると…


経済に流通するお金の量は、インフレやデフレなどの偏りが起きないよう、一定のバランスを保っています。
お金の量は、国や社会的な地位によって、多少の差がありますよね。
そして、貨幣社会に生きているわたしたちは、誰であれ、お金がなければ、衣食住を満たすことはできません。


ここまでは、気血と同じ。


でも、“お金は増やせば増やすほど、貯めれば貯めるほど、あればあるほどいい”、と思っている人が少なくないのではないでしょうか。





次回へ続く…

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