東洋医学的なエネルギーの表現に、気というものがあります。
気という字の中の「メ」は正しくは「火」と書くのだとか。
まさに、動力という感じです。
この気には先天的なもの、後天的なものがあり、そのチャージ法は大きく分けて三つ。
まずは先天の気。
人は、お父さんとお母さんの気を受けて生まれます。
気には人それぞれ個人差がありますから、お父さん&お母さんが違えば、当然赤ちゃんが持って生まれる気の多少には、差があるものです。
つぎに後天の気。
両親から貰い受けた気を基に、本人の生命活動を維持するために、
呼吸によって天の気を、
食事によって地の気を頂くと言われています。
ところで、発電所から送電線で家庭に運ばれるまでに、大変な量の電気が失われていると聞いたことがあります。
作り出した電気を溜めておく技術が開発されたら、ものすごいことらしいですね。
気というのは生命エネルギー、いわば動力ですから、電気と同じで溜めて置き続けることは出来ません。
ですから、一生分の空気をいっきに吸うことは出来ませんし、それを溜めておいて、一生涯分の呼吸を賄うことも出来ません。
この時に、イメージして欲しいのは、空気も食べ物も、エネルギーがその形をしているのだ、と言うことです。
食べ物に宿るエネルギーも、空気に含まれるエネルギーも、やはり溜めて置くことのできない流動的なものです。
お野菜や果物で考えてみてください。
採りたての新鮮な物の方が、キラキラしていて、美味しそうでしょう?
言い方を変えれば、それはエネルギーがたくさん詰まっているということです。
何日も置きっぱなしにして、クタッとしなびたお野菜や果物は、エネルギーが流れ出てしまった姿と言えます。
もちろん、流れ出たエネルギーはまた何かに宿って巡っていきますし、しなびたお野菜や果物も、また微生物たちによって分解されて土に還り、新しいエネルギーの形に成るかもしれません。
…こんな風に、食べ物も空気も、全部エネルギーで考えると、常に動き続けていて、巡っているモノです。
わたしたちは、呼吸や食事を通して、それらのエネルギーを、自分というカタチに宿しているのです。
これが、生命活動の維持になります。
もちろん、わたしたちの中に宿した気も、留まることはありません。
巡り続けます。
吸って吐く、食べて排泄する、このリズムを繰り返しながら、いつも永続的に新しいエネルギーをチャージする必要があるのです。
気の巡りを想像してみてください。
全部が繋がっていてるんだ、ということが分かってもらえるのではないでしょうか。