東洋医学の原典の一つと言える中国の古典、『黄帝大経素問』に、五臓六腑を、組織の役割に例えて説明している巻があります。(「霊蘭秘典論篇」)
その中で、“心は君主の官”と言われ、五臓六腑の中でも王様の地位にあります。
これを組織で例えるなら、その組織のトップ、社長さんにあたるでしょうか。
子どものころ、よく遊んだ男の子の将来の夢は、社長さんになりたい!でした。
無邪気だなぁ…
正確には、社長さんというのは、職業のカテゴリーにはないですね(笑)
ただ、組織のトップであるその立場に一度は憧れる人もいるのではないでしょうか。
いや、女性なら、社長夫人、とかでしょうか…
さて、会社というのは、職種や大小の違いはあれど、社長さんだけで成り立つものではありませんね。
企画する人がいて、専門技術を持つ人がいて、それを広める営業の人がいて、社内を預かる人事や庶務、経理といった事務方がいて、受付の人がいて、ビルの管理やメンテナンス・お掃除をして下さる方がいて、執行役員がいて、代表取締役社長という役割の人がいます。
表舞台に立つ華やかな役割もあれば、影に徹する役割もあるわけです。
そして、みんな役割が違いますから、社会的な立場や評価も異なります。
ただ、忘れてはいけないのは、どれ一つ欠けても、組織は成り立たないし、機能しない、ということ。
これは、五臓の関係性と、とてもよく似ています。
五臓というのは、肝・心・脾・肺・腎。
六腑というのは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦。
*三焦は具体的な臓器ではなく、東洋医学独特の気の働きに関わる役割を持つとされる。
一般的に、「心臓が止まれば死ぬ」と知られている通り、心臓は重要な臓器です。
たしかに五臓の中心的な役割を果たしていますが、本当を言えば、肝・脾・肺・腎、どれが機能を停止しても、時間の差はあれ、死に至るのです。
どれも形も違うし、大きさも役割も違います。
そしてそれぞれは、お互いに連携し合って作用しているのです。
これをもっと単純な例で考えれば、家庭における関係であっても、同じです。
家庭というのは、最小単位の組織ですから。
働いているお父さんだって大変だし、家事をこなすお母さんだって大変なのです。
お互いに持っている力、要求される能力、大変さには“差”がある。
どちらが大変だと比較できなし、どちらがエライのでもない。
役割の違う者同士がお互いに補い合うことで、全体が一つの秩序を創り、まとまっているのです。
組織を、社長を頂点としたヒエラルキー構造で見るのではなく、一つの調和を創るためのバランス構造だと見てみましょう。
そして、個々の組織をさらに俯瞰していけば、企業というのは、お金という“エネルギー”を社会全体に巡らせる動力を生み出す、歯車の一つのようなものかもしれません。
「・・・・この風車というものは竹の親串と、軸と、留める豆粒と紙車で出来ている。
けれども、こうして風に当てて廻るのは紙の車だけさ、
人もこの廻るところしか見やしない、
親串を褒める者もなし、軸がいいとか、豆の粒がよく揃ったとか云う者もない、
つまり紙の車ひとつを廻すために、人の眼にもつかない物が三つもある。
しかもこの三つの内どの一つが欠けても風車には成らない、
また串が紙車になりがたり、豆粒が軸になりたがりでは、てんでばらばらで風車ひとつ満足に廻らなくなる。
・・・・世の中も同じようなものだ、身分の上下があり職業にも善し悪しがある、けれどなに一つ無くてよいものはないのさ」
けれども、こうして風に当てて廻るのは紙の車だけさ、
人もこの廻るところしか見やしない、
親串を褒める者もなし、軸がいいとか、豆の粒がよく揃ったとか云う者もない、
つまり紙の車ひとつを廻すために、人の眼にもつかない物が三つもある。
しかもこの三つの内どの一つが欠けても風車には成らない、
また串が紙車になりがたり、豆粒が軸になりたがりでは、てんでばらばらで風車ひとつ満足に廻らなくなる。
・・・・世の中も同じようなものだ、身分の上下があり職業にも善し悪しがある、けれどなに一つ無くてよいものはないのさ」
-山本周五郎『足軽奉公』より-
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