2017年5月16日火曜日

気の巡り

東洋医学的なエネルギーの表現に、というものがあります。

気という字の中の「メ」は正しくは「火」と書くのだとか。
まさに、動力という感じです。

この気には先天的なもの、後天的なものがあり、そのチャージ法は大きく分けて三つ。

まずは先天の気

人は、お父さんとお母さんの気を受けて生まれます。
気には人それぞれ個人差がありますから、お父さん&お母さんが違えば、当然赤ちゃんが持って生まれる気の多少には、差があるものです。

つぎに後天の気

両親から貰い受けた気を基に、本人の生命活動を維持するために、
呼吸によって天の気を、
食事によって地の気を頂くと言われています。

ところで、発電所から送電線で家庭に運ばれるまでに、大変な量の電気が失われていると聞いたことがあります。
作り出した電気を溜めておく技術が開発されたら、ものすごいことらしいですね。

気というのは生命エネルギー、いわば動力ですから、電気と同じで溜めて置き続けることは出来ません。

ですから、一生分の空気をいっきに吸うことは出来ませんし、それを溜めておいて、一生涯分の呼吸を賄うことも出来ません。

この時に、イメージして欲しいのは、空気も食べ物も、エネルギーがその形をしているのだ、と言うことです。

食べ物に宿るエネルギーも、空気に含まれるエネルギーも、やはり溜めて置くことのできない流動的なものです。

お野菜や果物で考えてみてください。

採りたての新鮮な物の方が、キラキラしていて、美味しそうでしょう?
言い方を変えれば、それはエネルギーがたくさん詰まっているということです。

何日も置きっぱなしにして、クタッとしなびたお野菜や果物は、エネルギーが流れ出てしまった姿と言えます。

もちろん、流れ出たエネルギーはまた何かに宿って巡っていきますし、しなびたお野菜や果物も、また微生物たちによって分解されて土に還り、新しいエネルギーの形に成るかもしれません。

…こんな風に、食べ物も空気も、全部エネルギーで考えると、常に動き続けていて、巡っているモノです。

わたしたちは、呼吸や食事を通して、それらのエネルギーを、自分というカタチに宿しているのです。
これが、生命活動の維持になります。

もちろん、わたしたちの中に宿した気も、留まることはありません。
巡り続けます。

吸って吐く、食べて排泄する、このリズムを繰り返しながら、いつも永続的に新しいエネルギーをチャージする必要があるのです。

気の巡りを想像してみてください。


全部が繋がっていてるんだ、ということが分かってもらえるのではないでしょうか。